暑く暗い日々ですが・・・。

今年の8月は いろんなことがありました。ブログネタはたくさんありましたが、どれも暗すぎて・・・。
久しぶりに 広瀬隆氏の話を聞きに新宿まで行きましたが、気分は最悪に落ち込んで帰り
参議院選挙では、もう日本は終わった・・・。と思い込み。鎌仲監督の映画とトークに行ってはさらに
暗くなり 散々な暑い夏でした。ブログを書いても暗い話ばかりでは未来が見えてきません。

そんな中で、
ooo

まだご覧になっていない方はどこかで ぜひ鑑賞してください。
内容は やはり 暗くなりますが、遺伝子組み換え食品と原子力の問題を丁寧に取材しています。
息の長い運動も取材していて
あきらめずにつづけようと思います。

知り合いの方々のブログやらフェイスブックなどを眺めていると
この夏もみなさんいろいろな活動をしていました。
いろいろな都合で福島の現地に入る人も少なくありません。
何も解決されていないとも言える状況。東電や国から小出しにされる事実は
ますます最悪なシナリオへ・・・。
すっかり暗くなってしまった私の頭に昔の記憶がポンとでてきました。

1991年生存への行進90の途中で熊本県水俣市の「水俣病センター相思社」に立ち寄ったとき
の事。
当時 恥ずかしいことに「水俣病」のことをきちんと理解していなかった私たちに
相思社のかたが根気よく丁寧に説明していただきました。諸説いろいろですが私的な理解では、
水俣病は熊本県水俣市の水俣湾に「チッソ水俣工場」が工場廃液をそのまま流していたことにより、
魚介類にメチル水銀化合物が濃縮され、それを常食していた人々が発病した公害病です。
くわしくは検索してください。説明だけで100ページぐらいになりそうです。
熊本県が調査により「水俣には水俣病がある。」と言ってから約15年間 国は「水俣病は無い」
と言い続け現状を放置し、患者への差別や魚が売れなくなってしまい貧困のため水俣湾の魚介類を
食べ続けるしかなかった事や保障問題の国の遅さからも患者が拡大していった。
知れば知るほど福島とダブります。
そして、相思社の人が最後にいった事。
「水俣病患者の支援のためにたくさんの人が現地にきました。患者や家族との交流のなかで
最初はみんな魚とか口につけなかったのに、だんだん仲良くなって情がでてきて
一緒に食べ始めるわけです。しばらくすると支援者の手がふるえてくるのです。
水俣病になったのです。」
「水俣病の怖さの本質は、人間の感情とは関係なく化学物質があり続けることです。」
しばらく絶句して立ちすくんだ記憶が鮮明に蘇ります。
 (現在は安全宣言がでております。)

スーパーマンもヤッターマンも いないこの日本で 何とかせねばと一人じたばたする暑い台風の日です。

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